近況など、、、
事例を紹介しよう。ちなみに、僕がNikon D1を仕事で使いはじめたのは2月頃から、我が家にFinePix S1 Proが来たのは7月の末である。
<S印刷の場合>
2月からK繊維のチラシをD1で撮影。CMYKで納品。当初は順調に見えたが、6月にページもののパンフレットの印刷でトラブル。
それまでは置撮りだったものがモデルになったり、紙が変わったりなど条件が変わったことが原因かもしれないが、後で考えるとこうした印刷出力の場合は露出もあと半段程度は明るめのほうがよかったかもしれない。
早速デジタル化をはかり積極的にデジタル入稿を押し進めていった。今どき、デジタルデータを受け取れないところなどないので、比較的混乱はなかった。おかげで8月中の35mmポジ消費量はたったの1本だけであった。(僕の仕事の中ではブローニーや4×5も使うので、サブカット的な扱いをされる35mmのカットをデジタルに置き換えたりしている)
大胆予想をしてみよう。
<6月> ニコンD1の発売から半年以上が経過し、コマーシャルフォトなどの専門誌でもその評判がとりあげられたこともあって「デジタルでも使い物になるらしい」という意識が徐々に定着してくる。もちろん報道系では当たり前だったがここにきてコマーシャル系のフォトグラファーの意識にも変化の兆しが見えてくる。
<7月> FinePix S1 Pro発売。ニコンD1でもかなりの数のアマチュアが購入している。ましてやその半額で買えるFinePix S1 Proはさらに相当数のアマチュアの購入が予想される。すでにD1を購入しているプロカメラマンもサブ機として購入。これを機にマイファースト・デジタルカメラとして導入するプロも多数いて、大ヒット製品となる。特に僕のような個人営業のフリーランサーにもやっと手の届く価格帯になってきたことがデジタル化をいっそう加速する。
<8月> デジタル入稿が増えてくる。しかし、デジタルはうまく印刷できない、といった混乱も増えてくる。一部では「やっぱりアナログのほうが綺麗に印刷できる」といった誤った認識も生まれる。
<9月> EOS D30発売。キヤノンユーザーのプロカメラマンも待ってましたとばかりに購入。デジタル入稿の混乱は相変わらずだが、同じデジタルカメラで撮ってもカメラマンの違いによって綺麗に印刷できたりそうじゃなかったりする場合があることにクライアント側も気が付きはじめる。
<10月> きちんとカラーマネジメントが出来るカメラマンとそうじゃないカメラマン。フルデータのDTPできちんとデジタルフォトデータ入稿に対応できるデザイン会社とそうじゃないデザイン会社。デジタル入稿に対して積極的に取り組む姿勢のある印刷会社(製版会社)とそうじゃない会社。といった選別が進む。
その間にも早くからデジタル化に取り組んできたフォトグラファー達は急激に仕事量が増える。
<11月> D1の発売から1年が経過し、デジタル入稿も以前のように懐疑的に受け取られることも少なくなってくる。それでも根強いアナログ派もいるが、そういう所(フォトグラファー、デザイナー、もろもろ)は徐々に仕事が減っていく。あるいは仕事は減らないまでも、ばか正直にフイルムや現像にコストをかけているので、一向に利益の出ない仕事をやり続けることになる。
<12月> とある現像所では35mmのフイルムと現像の売り上げが減ってくる。アナログ派のフォトグラファー達の危機感もピークに。
<2001年1月> ニコンD2やEOS D2000/D6000の後継機の噂、600万画素超の中判デジタルカメラの低価格化なども噂され、再び加速度的に活気づく。
一方でカラーマネジメントシステムに対する正しい知識も定着し、デジタルのほうがフイルムよりも正確な色が出せるという理屈が理解されるようになる。
クライアント側からデジタルで撮って欲しいという要求も激増。
<2月> ニコンD2など次世代カメラも続々発表され、写真界は一気にデジタルへと進む。
<3月> いくつかの現像所では店舗数縮小を余儀無くされる。倒産する現像所も、、。
替って、変換屋が登場。いや、例えば出力センターがデジタルカメラデータを印刷する印刷会社のプロファイルに合わせたCMYKデータに変換してくれるというサービスが登場したりして。
ここまでの時点で生き残れるカメラマンとそうじゃないカメラマンの選別は決定的なものとなる。
はたして、僕はその時点で生き残っているのだろうか?
さらに大胆予想は続く、、、
<2002年> 一部のポジフイルムは手に入りにくくなる
<2003年> 一部の作家を除いて仕事でアナログカメラを使う人はいなくなる。
↑かなり加速度的に進んで行きそうな過激な予測だったが、実際にはもっともっと緩やかな変化だった。
ただ、流れは全くこの通りで、今読み返してみると感慨深いものがある、、、、2012年10月11日後記