- ちょっといい話in NYC
ニューヨークへ行ってきた。
1981年以来実に18年振り、3回目の訪問である。
その日、僕は72丁目のダコタハウス前から地下鉄に乗り、Village方面へ向かう途中だった。ブロードウエイ地下を走るのはデューク・エリントンの「Take the ATrain」として名高いA Line(Express)と各駅停車のC Line(Lokal)だ。72丁目からC Lineに乗り、59丁目で急行のAトレインに乗り換えた。42丁目の駅に来た時、数人の若者が僕らの車両に乗り込んできた。
雰囲気からして地下鉄で活動しているストリートミュージシャン達だと思った。僕は黙ってうつむいて目を瞑ったままだった。よくあることだ。
ニューヨークに限ったことではないがストリートミュージシャンは何処へ行っても遭遇する。ところがニューヨークへ来て最初にびっくりしたのは、ラッシュ時の満員の車内でギターを抱えて歌っていた奴だった。彼はTimesSquereとGrandCentralStationのひと駅だけを往復するS Lineというシャトル便の中で歌っていた。客にとっては迷惑だが、彼は意に介することも無く歌い続け、客が降りる時には、「Take care、、、」なんて気づかっていたのが可笑しかった。もちろん彼に投げ銭する人はいなかった。びっくりしたけど、感動したわけではなかった。
後で聞いた話だが、ニューヨーク市営地下鉄ではストリートミュージシャンのオーディションがあって、合格すると地下鉄構内や車内での活動が許されるそうな、、、。
もっとも、それは後で知った話で、その時は知る由も無かった。
Hello Evrybody、、、(みなさん、こんにちは!僕達は○○です。僕達は○○の○○で、これから○○の歌を歌いたいと思います。聞いて下さい、、、)とでも、言っていたのだろうか?彼等はそんな口上を述べながら僕のいた進行方向側とは反対側へ乗り込んできた。
僕はよくあることだ思い、聞き流しながら座ったままうつむいて目をつむっていた。ちょっとだけ気になって、僕のちょうど前に座っていた黒人の男性を見たが、彼も特に興味を示すふうでもなく、ぼーっとしていた。安心して再びうつむきかけた時、彼等は歌い出した。
その瞬間、驚いた。
僕は愕然として頭をあげた。その時初めて、彼等が女性一人を含む3人グループであることを知った。向かいに座っていた黒人男性も明らかに動揺していた。
なんて言っているのかは分からないけれど、とてもメッセージ性の強い歌声。アコースティックギターとゴスペル風の澄んだコーラス。
困った、と思った。なぜなら、黙って寝たふりをしようと思っていたのに、そうはいかなくなったからだ。向かいの黒人男性もそわそわしている。やがて彼は立ち上がり、彼等のほうへ近づいていった。次の34丁目の駅に来た時、彼は小銭を渡して駅を降りた。他の乗客達も、次々と彼等の空き缶の中へ投げ銭をする。
一曲目が終わった。続く二曲目は女性のソロだ。
上手い。上手すぎる。
なんで、地下鉄のなかでこんな凄い音楽に出会わなくてはならないんだろうと思う。
前日の夜はあのパンクロックのメッカ、CBGBへ行ったけどべつにたいしたバンドが出ていたわけではなかった。ニューヨークだから、といった特別なことはではなく、結局、上手い奴は上手いし、下手なやつは下手だという普遍性に気が付いて少し安心していたところだった。同時に、夜中でも安心して出歩けるような「安全な街」に成り下がってしまったニューヨークに物足りなさを感じていたところだった。
そして、この日の地下鉄での出来事である。ニューヨークという街の懐の深さを思い知ったような気がした。
彼等は唱いながらゆっくりと車両の通路を歩いてくる。僕はポケットにあった小銭を彼等に差し出したのは言うまでもない。
(99/11/28)
- ところで、こないだから懸案だったノートブックPCを連休中に購入した。中古Macか中古WINでさんざん悩んだが、結局、型落ちした新品のWinノートを超格安でゲットした。
ものは、、、
IBM ThinkPad 315D/Pentium133MHz/32MB RAM/1GB HDD/内蔵CD-ROM/外付けFDD
11.3インチTFTカラー液晶は800×600の解像度で6万5千色表示(VRAM 1MB)。外付けディスプレイも使えるし、液晶と外付けディスプレイのミラーリングも可能。
A4サイズで3kg程度はあるのでちょっと重いけど、とりあえずはオプション品を取り付けなくても一通りは出来てしまう。当然モデムカード(PCカードタイプで33.6kbps)も付属.。
まだまだあるよ(たぶん使わないけど)、ヘッドフォンとマイクが一体になったヘッドセットや音声認識ソフト。おまけソフトやCD-ROMも一杯ついてきた。Kai's Power GOOやLotus1-2-3とかクラリスインパクトとかオラシオンのミュージックアイランドシリーズのCD-ROMとか10枚以上。
OSはWindows95。
さて、これだけ揃ってお値段は、、、ズバリ¥127,700(消費税抜き)PCデポ新横浜店限定特価品
で、喜びも束の間、コトは順調というわけにはいかなかった。
ことの経過を説明すると、、
1日目(5月3日)
購入して早速いじってみたが、どうも気に入らない、つまりWindowsってやつが。
だいたいここにコンピュータがあるのになんでデスクトップの上にもう一つ「マイコンピュータ」があるの?これはあきらかに二重構造。
それから例えば「スタート」メニューから「エクスプローラー」へ行くとそこにもコンピュータのディレクトリが示してあって、「Windows」というフォルダの中に「スタートメニュー」があってさらに深く進んでいくとまた「エクスプローラー」があって、といった永遠の迷宮へ迷いこんでしまう。
これは多分Macでいうところのエイリアスが至る所に散在している状態なのか?どれが本当のデータなのかわざと判らなくしているみたい。おまえら一般ユーザーは深いところへは来なくていいからOS立ち上げたらさっさとアプリへ行ってくれ!っていう開発者の意識も見隠れ、、、。
ちょっと設定を変えようとすると「とりあえず現在の設定では削除しても問題ないけど、将来何かを追加した時に不具合を起こす可能性も否定できなくも無いけど、それでもいいのか?」といった主旨のまわりくどい脅しをかけてくる。マックみたいに「えっ!?」といった簡潔なダイアログではない。
こうなったらOSが壊れるまで勝手にディレクトリを変えたり、ファイル名を変えたりしてみようと思いたつ。ってゆーか壊してみようと思う。「マイコンピュータ」を捨ててしまおうと思ってゴミ箱に運んでみたり。「プログラム」というフォルダー名が気に入らないので「アプリケーション」に変えようとしてみたり、、、。
2日目(5月4日)
段々ぐしゃぐしゃになってきたし、プロバイダーの接続ソフトとか余計なソフトもいろいろプリインストールされているので一度すっきりさせたいと思い、OSの再インストールを試みる。
が、、、失敗。Windows95は立ち上がるがCD-ROMドライブを認識しなくなる。
何度やってもお手上げ状態。だいたい本来なら上書きではなく初期化してインストールしたいのだが、初期化のしかたがわからない。Mac OSは起動用ディスクから立ち上げてもMac OSなのにWinは起動用ディスクから立ち上げるとそこはDOSの世界?ど〜なってんの?やっぱWinは一般ユーザーをバカにしている。
メーカーのサポートを受けようかと思ってしまうぐらいお手上げ状態。
3日目(5月5日)
CD-ROMが使えないだけでなく、初日には繋がったインターネットにも繋がらなくなっていることが判明。PCカードスロットが認識していない。どうやら「デバイスが競合している」ということらしい。原因らしきものが少し見えてきただけでも少し進歩。BIOSの設定とかI/Oポートアドレスの設定とか段々深いところへ入っていく。マックでいうところの「shift」キーを押しながら立ち上げて機能拡張をはずすのと同じような立ち上げ方ができるのが「Safe Mode」による立ち上げ。
いろいろやってみるがやっぱりダメ。
4日目(5月6日)
やはり一度完全に初期化しないとダメなのか?上書きばかりくり返していると少しづつハードディスクの空き容量が減っているのがわかる。Windowsマシンのハードディスクを真っ白な状態に初期化するということは一度DOSの世界へ行くということである。これはちょっと恐いが、もうそれをやるしかないと思い初期化する方法を探る。仕事の帰りに「WindowsユーザーのためのMS-DOS入門」という本を古本屋で見つけ、購入。な〜んだ、起動ディスクから立ち上げたら 「FORMAT C:」をコマンド入力すればいいんだ。
完全に初期化した状態から再インストール。
やっとうまくいった。しかも1GBのハードディスクの空きがまだ820MBもある状態。よけいなものをそぎ落としてカリカリにチューンナップしたって感じ、、。
というわけで全くのWin 初心者が、購入した次の日にOSの再インストールを試み、失敗し、4日目にして修復したお話でした。
でも、これで大手をふってWindowsの悪口も言えるってことさ。Windowsがいかに人をバカにしたマシンかってことを証明するためにWindows を購入したんだから、、、。(99/5/20)
- いろいろあって、結局FUJIX DS-330を購入した。
いままでマルチメディアスクール・ポムから借りていたFUJIX DS-505を愛用していたのだが、ある日突然返却命令が来て返してしまった。借りていたものを返すのは至極あたりまえのことなのでしかたがないのだが、わが家の経済にとっては一大事であった。先方いわく、なにかデジタルスタジオ(あるいはポストプロ)のようなもの?を作りたいんだそうな?また、授業の教材としても活用したいんだそうな?「だから竹澤君も手をかしてくれないか?」とでも言うならいざしらず、機材だけ返せ!とは何事か?
要は、ポムは僕とは縁を切りたいってことなんだね。わかった、わかった、じゃあそういうことにしよう。
ということで、お中元まで持参して、「いままでどうもありがとうございました。」と返却しに行ったのは2ヵ月前。さあ困った。毎月レギュラーでやっているDiGiMARTのQTVR撮影はどうしよう。DS-505は現在モデルチェンジしてDS-560となっているが77万円もする。わが家の家計的にはとても無理である。とりあえずDiGiMART編集部で所有するMINOLTA RD-175を使ってみることにした。これも3CCD式の一眼レフで定価68万円と、決して悪い機種ではない。ところが実際使って見ると古い機種でもあり、良くないことがわかって、やっぱりいままでのクオリティをなんとか取り戻さなくてはいけない状況になった。そこでFUJIX DS-330である。本当はCANON PowerShot Pro 70とかSONYから発表になったメモリースティック対応5倍ズーム付きデジカメとかも市場に出回ってから比較検討したかったのだが、もうすぐ次回の撮影の期日も迫ってきたので背に腹は変えられなかった。DS-330にはなんとか頑張ってもらいたい。
余談になるが、DS-330は10日ほど前に発注し、今日納品されて手元にあるのだが、昨日、デジタルカメラによる撮影の打診が別件で一件あった。もし実現すれば一気にもとがとれてしまう計算になる。そんなことならDS-560にしておけばよかったかな?とも一瞬思ったが、とかく需要と供給の関係からすると、撮らぬ狸の皮算用になりがち(そういうことってあるよね)なので、今回(まだ確定じゃないけど)は超ラッキー!
まずはこのDS-330を徹底的に使い倒してみようと思ってます。
たぶん次回のデジカメ特集はこのFUJIX DS-330がどこまで仕事で使えるのか実際の仕事事例を交えて紹介できると思います。
P-Nuts Office設立まで、、目標あと23日、、、。(98/9/12)
- iMac発売まであと4日。Macintosh関連の雑誌はiMacの記事・写真で盛り上がっていますね。そう、実は私もすでに7月中にiMacを撮影しました。私の撮影したものは現在発売中の「Mac Fan Internet」9月号の表紙、「Mac Fan」1特扉、「Mac Fan ビギナーズ」などで見ることができます。
カメラマンやっててよかった、って思えることが時々あります。それは有名人に会えたり、コンサートなどの取材でタダで見られたりといったミーハー的な単純なことなのですが、今回のiMacもそうでしたね。人より早くiMacに会えたわけですから。
それにしても、iMacが買えるぐらいの経済的余裕がもう少し欲しいところです。
それから、P-Nutsの事務所を作ろうという話も、あてもなく勝手にカウントダウンしていましたが、案外実現するかもしれません。
P-Nuts Office設立まで、、目標あと41日、、、。(98/8/25)
- ここ3〜4か月はさしたる大きな仕事もなく、かといってすることがないほど暇ということもなく、結果的に振り替えってみれば、まあそこそこ忙しかったのかな〜という感じではある。
4月にデザインを変えてVer.2.0にして以来、細かい不具合をそのまま放置していたので、先月少し暇ができたところで自分のページをきちんと整備しようと思い立って、その時、急に書き出したのが、例の「特集デジタルカメラ・レポート」である。書き始めると、こんなこと書いて何になるんだ?と思いながらも、書かずにはいられない状況になってしまった。さらに困ったことに書いたはいいけど内容が内容だけにどうやって誰に告知しようかと悩んでしまった。僕としては、あくまで個人的な感想であって、所謂、ヒボウ&中傷に属するような内容ではないと信じているのですが、、、。
そんな後ろめたさもあってか最初はあまり業界筋とは関係なさそうな友人・知人にメールでこっそり教えたのだが、いろいろ廻り廻って柴田さんに知れたのが運の尽き、日刊デジクリに紹介されて全国的にばらされてしまった。
いまは終息に向かいつつあるけれど、ピーク時で一日300ヒットぐらいあったのだから驚きです。今後はデジタルカメラの最新動向がわかるサイトとしての自覚をもって、時々更新していきたいと思います。(って急に「ですます」調になっちゃたりして、、、)
あっ、それからLINKのページも整備しました。あと未整備なのがOld Mac galleryのページ。本当はもっと沢山の写真を載せたいのだけれど単行本化される予定があるので自粛してます。あと、Flashのプラグインが必要だなんて表紙に書いてありますが、ウソです。現在のところ必要ありません。今後フラッシュを使ったページも作ってみたいという「気持ち」です。
P-Nuts Office設立まで、、目標あと75日、、、。(98/7/21)
- 我々P-Nutsの仲間である、村松塁さんと北古賀紀行さんがデジタルイメージの会員として、いま銀座・ワシントン7Fで開かれている「デジタルイメージ展」に参加しています。
「デジタルイメージ展」といえば、マルチメディアで活躍する日本のトップアーティストが集う展覧会です。例えば、Strata Studio Proによる3Dイラストで有名なダバカン氏、Painterの使い手として著作もある吉井宏氏、フォトショッパーとして度々参考書や雑誌などでも紹介される私の友人倉嶋正彦氏、Live Picture使いのカメラマン小森修氏、Psy'sの松浦雅也氏の奥さんで、CD-ROM「パラダイス*レスキュー」の作者で「おかあさんといっしょ」や「ひらけ!ポンキッキ」のCGなどでも知られる松浦希里氏、などなど言ってみれば皆「教科書」に出てくるような人達が一同に会する作品展といってもいいでしょう。
その作品展に我々P-Nuts展を主催した仲間が2人も参加しているというのはとても名誉なことで、自分のことじゃあないんだけど、まるで自分のことのように嬉しくて楽しくなってしまいます。
ことの始まりはやはりP-Nuts展です。「業界に打って出るきっかけになるような展覧会をやりたい」というのが、言い出しっぺの運営委員の意見で、相談を受けた僕は、じゃあこんなのはどうだ?ということでいくつか提案をし、実際にそのようになっていくための「仕掛け」を考えました。ただ展覧会をやったからといって、どうなるものでもないのでイベントとして仕掛けていって、それを大々的にPRしようということでした。
その大きな柱となったのが参加者の作品からグランプリを決めるコンペです。これには当初から僕の頭の中には2つの目的がありました。コンペ自体は単なる材料です。
一つは企業から賞品の提供をお願いして協賛してもらい、プライベートな作品展とは違う一線を画すような印象を与えること。アドビとマクロメディアが正式に協賛していただいたことは本当に有難いことでした。他にも武藤工業やセイコーエプソン、アップルコンピュータ、キュリオシティー、A&P、いたちょこシステムなど多くの協力が得られました。
そしてもう一つが業界に影響力のある人を審査委員に迎えることで、業界的な認知度を高めよう、ということでした。審査委員長を務めてくれた柴田忠男氏には本当に感謝いたします。実は彼こそがデジタルイメージ展の運営委員でもあり仕掛け人でもあるのです。
実際、P-NUts展グランプリの村松塁氏と準グランプリの北古賀紀行氏の元に柴田氏から、つまりデジタルイメージから作品出品の要請があったのはP-Nuts展からわずか数日後だったそうです。
デジタルイメージの会員になり展覧会に参加するためには通常、作品を提出し運営委員の審査を受けなければなりません。今となっては大きな展覧会になりましたので、コネもなく普通に応募しても、きっと大変な競争率ではないかと思います。村松氏と北古賀氏はその意味ではP-Nuts展ですでに「みそぎ」を受け、認められた形で参加したことになるわけですね。
P-Nuts展では僕はアドバイサー的な形で当初から、勝手な意見を言ってました。実際、数か月前から土台を作り、仕掛けを組み上げていったのは本間さんはじめ運営委員のかたたちでした。本当にご苦労様でした。
結果として、やっぱり本当に意欲的に「やる気」があって本気で取り組んでいたのは運営委員の方たちでしたね。当初の「展覧会をやりたいっ!」という気持ちが、なんとしても実現したいがために「運営委員」をかって出て、仕事を犠牲にしてまで頑張っていたわけですから、、、(一部の参加者のなかからは「結局は運営委員がとくするんでしょ」といった批判的な意見もあったそうな、、、でも僕から言わせれば「運営委員が結局損をするような展覧会」には絶対したくないということ。だからこそ全員が運営委員として参加するよう呼びかけていたわけです。あれっ、また話が変な方向へいってしまったかな、、、)
まあとにかく、今回は村松氏と北古賀氏の2名がデジタルイメージ展への参加ということで具体的な成果がありましたが、P-Nuts全体のこととして喜びたいと思います。
P-Nutsは次ぎのステップを模索中です、、、
P-Nuts Office設立まで、、目標あと120日、、、。
- 今年も花見をしないうちに、いつのまにか散ってしまいました。
さて、久々の近況報告です。
2月〜3月下旬にかけて長期間にわたる撮影に従事していました。延べ34日間、6週間、撮影カット数306カットでした。毎年のこととはいえ、ここ数年コマーシャルの仕事が少なくなっている私にとっては大事な仕事です。この仕事のために私はポムを辞めました。やはり、結果的には昨年1年間にポムからいただいたギャラに迫るぐらいのギャランティーをこの34日間で稼ぎ出したわけですから、どっちの仕事を選ぶかは明白ですね。(もっとも、今年これから残りの収入が0だったら、やっぱりポムを続けていたほうがよかった、ということにもなりかねません、、、そのへんの判断がフリーランサーとしては難しいところ、、、)
流れとしては、こうです。
約1年半にわたった講師稼業にはピリオドを打ち、今後は講師稼業で得た人脈を生かして新たな事業展開をしていきたいと思っています。つまり、元のさやに戻るのではなく「講師稼業」を卒業して、外の世界へ打って出る方向で考えていきたいと思っています。
3月におこなわれた「P-Nuts展」は私にとっても重要なイベントでした。(自分自身のプロモーションもさることながら、単なる「卒展」の枠を超えて、次代を担うクリエーター達に出会うことができました。もっと平たく本音をいうと、「企画力」「行動力」「運営力」「作品」など様々な角度から参加者たちを見て「単なる卒業生(若い人の言葉でいうとパンピーってことね)」なのか、将来一緒に「物」を創っていく仲間(クリエーター)になりうる人なのかを選別する目でみていました。)
ポムに限らず、マルチメディア系スクールはどこも「現役のクリエーターが直接教える」というのがウリで、各スクールは苦心してそういう風に思われるような広告戦略をとっています。でも単純に考えてみても判ることですが、トップクリエーターは仕事が忙しく安いギャラの講師なんか引き受けられない、というのが本音でしょう。悪く言ってしまえば、スクール講師なんて食って行けない二流クリエーターの吹きだまりみたいなもんです。私もその一人だったわけです。
別の見方をすれば、こんなに楽しい職業はないというぐらいにメリットも多いことも事実です。まず、金を払って「勉強」するのではなく、金を貰って「勉強」できるということ。人に教えるということは、自分自身が一番「勉強」になります。また、誰よりも先に「新しい才能」に出会えるということ、卒業生達の活躍には目を見張るばかりで、そういった人脈形成には非常に役にたちました。(諸条件さえクリアすればまた何処かのスクールで講師をやってみたいと思っています)
将来、有名クリエーターを「君呼ばわり」したり、あいつは俺の教え子なんだよ、なんて得意になったり出来たら楽しいでしょう。でも同時に"そんなこと"でしか得意になれない自分だったらいやですよね。
今後は「講師」と「生徒」という立場ではなく、同じクリエーター同志としてある意味「戦って」、場合によっては「出る釘は打つ」(あるいは自分が打たれるかもしれない)ぐらいの厳しい関係で本物のトップクリエーターを共に目指していきたいと思います。(事務所設立メンバー募集中!!)
近況報告、というよりも誰に向けたメッセージなのかよく判らない変な文章になってしまいましたね、あしからず、、、
P-Nuts Office設立まで、、、あと100日。(1998/4/15)
- こないだ、フラッと横浜まで出かけた。車で30分程でついてしまうので、考えてみれば近いのだが、普段東京都内方面に出る機会のほうが圧倒的に多いので、横浜市に住んでいながら以外と横浜には足が向かないのだ。
お目当ては横浜ビブレ内の「ソフマップ・ギガストア」である。
横浜が以外と近いことを再発見してみると、ここは案外いいかもしれない。
特に買うものの予定はなかったのだが、中古のジャンクのような扱いでメモリを入れたパーツケースがあった。「マック用DIMM」と書かれた引きだしを開けてみるとそこには8MB DIMMが一枚だけポツリとあった。値段は¥1,280。8MBじゃあしょうがないな、と思いながらも残り一枚分の空きスロット(わが家は少し古くなってしまったPM7200なのでDIMMスロットは計4つ)のことと、もう一度手にとって値段と財布の中味のことを考えた。1MBあたりの値段で換算すると、、、と思いを巡らせてみると、結構安いし、使い捨て感覚で衝動買いしても悪くない、という結論に達した。
で、早速家に帰って、残り一枚分しかない空きスロットに差して喜んでいたのだが、どう考えても自分のやっていることは貧乏臭いということに気が付いた。
残り一枚分しかない空きスロットになんで8MBなんか差しちゃったんだろう?それに8MB増えたからといっても144MBが152MBになっただけの話で、劇的に進化するわけでもない。
なんで?という後悔の念も湧いてきたのだが、やっぱり、結局、どこかで喜んでいる自分が悲しい。 (1998/2/5)
- あけましておめでとうございます。
このホームページも開設から約1年が経過しました。僕にとってはとても長い1年のように感じています。普通だったらアッという間の、、といった言い方をしてもおかしくないのですが、昨年の仕事を振り返って見てもあれやこれやの盛りだくさんで、1年前は遠い過去のような気さえしてきます。
昔、20代の頃、僕のような個人商店的なフリーランサーは個人的な繋がりを軸にして仕事をしているかぎりさほど景気に左右されないんじゃないか、と思っていた時期がありました。ところが個人とはいえ企業のカタログなど広告の仕事が増えてくると、実は世の中の景気と密接に関係しているのだということをいやというほど味わうことになるわけです。それがちょうど3〜4年前。本業のアナログ写真だけでは苦しくなり、なんとか次ぎのことを、、と考えていた時、幸運にも(株)東京グラフィック・アーツの岡氏よりお誘いがありデジタルの道を切り開くことが出来ました。
そしてマルチメディアスクール・ポムでの講師稼業を通じて沢山のブレーンができました。いま巷では僕は「デジタルに強いカメラマン」ということになってしまいましたが、実はそうではなくて、強いブレーンがいるから「強いと思われてる」だけなのです。その意味ではポムに大変感謝しています。個人ではいくらコツコツと勉強してもこうはいきません。
森田さん(1期)、本間さん、伊瀬さん(2期)、橋詰さん(3期)、岩瀬さん(5期)、小笠原さん、小川さん(6期)、村松さん、塩原さん、(7期)、関さん(9期)、栗山さん、加藤さん、阪本さん(10期)、原さん、谷川さん(12期)、林田さん(14期)、北古賀さん(15期)etc、、、これらの人達は昨年1年間の間に、仕事を手伝ってもらったり、逆に仕事をもらったり、あるいは直接的に仕事にはならなくても、仕事を通じて何らかの関わりがあった人達です。個人的にコツコツ「Macintoshを勉強」しても、これだけのブレーンを短期間で集めるのは到底無理でしょう。本当にありがとうございました。
そして、今年もダイナミックに、不況に負けず、皆さんの力を結集しましょう。
今年も宜しくお願いします。(1998.1.1)
- ちょっと前のことになってしまったが、知り合いのデザイナーが亡くなった。
以前、ダイエーの「ホームワールド・カタログ」というのを毎年6月と11月頃に2週間程度の日程で撮影していたのだけれど、彼(もちろん仕事上は大先輩になる人なので「彼」などという言い方は失礼かもしれない、、)はその仕事を統括するディレクターとして、現場ではカメラマン3チーム始め、スタイリストや大道具(建て込み)の職人さん達なども含め30名あまりのスタッフのまとめ役でもあった。もちろんデザイナーとしてはクライアントにたいする社長プレゼン(つまり中内さんに直接ラフスケッチを見せて説明するわけです。)などもこなしていた。
何をもって一流とするかは人によって違うだろうけど、僕にとってこの仕事は一流だった。そして、毎回そのスタッフの一員として加えてもらえることはとても名誉なことでもあった。
フリーで仕事をしていて嬉しいのは、一度やった仕事が評価されて、再びリピートしていくことだが、信頼関係が定着してレギュラー化してくると、永遠にその仕事が続いていくような気さえしてくることがある。スタイリストの松本葉子さんがあるときスタジオで「私たちきっとお爺ちゃんお婆ちゃんになっても同じスタッフで同じことをしているんでしょうね〜」と言った。皆もそう思っていたに違いない。 もちろんその中心には原さんがいて、誰もが原さんのことを慕っていたし、仕事がどんなにハードでも原さんとだったら一緒に仕事をしたかった。
でも、そうならなかった、、、
ある日突然「ホームワールド」カタログは廃刊になり、、、あれほどの大規模な撮影は無くなってしまった。
でも、いつかまたどこかの仕事で、同じメンバーが徴集され、「竹ちゃん、歳取ったね。」「原さんこそなんですか、髭真っ白じゃないですか!?」なんて言いながら、仕事をする機会がくるとばかり思っていた。
どうして?
9月17日原さんが亡くなってしまった。肺癌だったらしい。
葬式には大勢の仕事関係者も集まり、、皆、泣いていた。
普通、仕事関係者はこんなには泣かない?、、ものだ?、、。
少し時間がたってしまったけれど、どうしても原さんのことをここに書きとどめておきたかった。じゃないと、「近況、、」などといって情報更新するわけにはいかなかったのだ、、。
原 弘さんのご冥福をお祈りします。(97/10/20)
-
Old Mac Gallery 開設予定(まだ工事中、、)
- プレミアを使ってビデオ編集の仕事をした。納期が短くて大変だったがいい仕事だったと思う。
何度も手直しが入って修正したが、それが嫌なことじゃなかったのは、CD(クリエイティブディレクター)の児玉さんをはじめ皆で「もっと良くするにはどうしたらよいか?」という視点から討議を重ねていき、クリエイティヴしていく気持ちで皆が一致していたからだと思う。クライアントに気に入られなくて、、といったネガティブな手直しではなく、いいものを作りたいという気持ちからのポジティブな手直しだったと思う。
ポム修了生の原さんに手伝ってもらったが、半分以上は彼に作ってもらったようなものである。原さんお疲れさまでした、、、。 (97/7/26)
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update 98.8.25
Hiroshi Takezawa
Email takezawa@air.linkclub.or.jp